ペルーの名所その1:マチュピチュ

ペルーの名所シリーズ、その1は「マチュピチュ遺跡」!

ペルーは観光資源の豊富な国です。名所と呼ばれる観光地も数多く、その中でも真っ先に名前があがるのが「日本人が行きたい世界遺産ナンバー1」にもなったことがあるマチュピチュ遺跡です。名所中の名所と言っても差し支えないかと思います。

マチュピチュ遺跡は標高約2400mに位置し、麓のマチュピチュ村からは約400mの標高差があります。

断崖と山々に囲まれ、麓を流れるウルバンバ川の流域は密林に覆われているため、その姿は空中からしか見ることができません。「空中都市」と呼ばれているゆえんです。

マチュピチュ遺跡は、1450年頃、インカ帝国第9代皇帝パチャクティの時代に造られたと言われており、広場を中心に、神殿、居住区、ジャガイモやトウモロコシを栽培できる段々畑などがあることから、インカ時代の首都であるクスコと同じように王が滞在する都市のひとつだったと考えられています。

マチュピチュ遺跡は、1911年7月24日、アメリカ人の探検家、ハイラム・ビンガム(インディアナ・ジョーンズのモデルとされている)によって発見されました。

ビンガムは、もともとスペインの征服者達によって、首都・クスコを追われたインカ軍がジャングルの奥地に築いたという秘密基地、ビルカバンバを探すためペルーへやって来ていました。

ビルカバンバに関する古い記録には、高い山の頂にあり、精巧な技術で建造された建物がそびえ立つとあったことから、ビンガムは草に覆われた山道をよじ登りマチュピチュ遺跡が発見されたのです。

最初、ビルカバンバではないかと思われたマチュピチュですが、インカ帝国から持ち出された黄金や財宝が見つからなかったことから、この遺跡はビルカバンバではないと判断されるに至りました。

ビルカバンバではなかったが、スペイン軍によってほとんど破壊されたインカ時代の都市が手つかずのまま残っていたのはまさに奇跡。この奇跡の「空中都市」を見るために毎年、多くの人々が世界中からやってくるマチュピチュ遺跡は、まさにペルーの名所の中の名所です。

このペルーの名所、マチュピチュを観光するための拠点となる麓の村、マチュピチュ村は今でこそ、ホテルやレストランが立ち並び、世界中から集まる観光客によって賑わいをみせていますが、この村にまだ電気も通ってなかった1930年代、一人の日本人がこの村のために尽力したということが最近になって注目を集めています。

その人の名は、野内与吉(のうち よきち)さん。

最近、日本のテレビ番組でも紹介され、その時には「マチュピチュ村の初代村長は日本人だった」というタイトルがついていました。

野内さんのことを取材した人によっては、初代村長ではないという意見もあるのですが、そんなことはどうでもよいことで、とにかく偉い人なのです!

野内さんは、もともとペルーへは契約移民としてやってきました。

あまり知られていないですが、ペルーが日本人の契約移民を受け入れたのは1889年。南米で初めてです。日系人が多いことで有名なブラジルより前に日本人の移民を受け入れていたのです。

農園では働いていた野内さんは、契約内容と実際の待遇がかけはなれていることから一年で辞め、米国やブラジル、ボリビアなどを放浪した後、ペルーへ戻り、クスコにあるペルー国鉄で働くことになりました。

その後、ペルー人女性と結婚、マチュピチュ村に住みはじめます。

野内さんは当時、何もないマチュピチュ村に川から水を引いて畑を作り、水力発電のシステムまで作りました。つまり電気のない村に電気をもたらした人物といえます。

それだけではなく、村で故障した機械の修理、村を住みやすくするための木材の伐採など、とにかくマチュピチュ村に住むみんなのために尽力したといいます。

1935年には、3階建てで本格的な木造建築のホテル、「ホテル・ノウチ」を建てました。そのホテルでも1階は村の郵便局や交番として無償で貸し出していました。

そして野内さんが建てたこのホテルが、村の中心となってマチュピチュ村は観光地としても発展していったといわれているのです。

世界中から注目を集める観光名所マチュピチュ遺跡。

その観光の起点となるマチュピチュ村に、最初の発展をもたらした人物が日本人とは、私達にとってはなんとも誇らしい話ですね。

「名所シリーズ」は今後もどんどん追加していき、ペルー中の名所を網羅しようと目論んでいます!どうぞご期待ください!

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